ユーザーレビュー

ビジネス関連書籍の紹介日記です

いつも「時間がない」あなたに:欠乏の行動経済学 センディル・ ムッライナタン エルダー・シャフィール

本書は「欠乏」を切り口に、人間の思考・行動パターンを分析していきます。
最新の心理学と経済学の知見が織り込まれていて、ビジネス本としてもサイエンス本としても楽しむことができ、知的好奇心を満足させてくれる読み応えのある一作です。
ハーバード大学教授のセンディル・ ムッライナタンとプリンストン大学教授のエルダー・シャフィールの二人のコンビによる作品です。
彼らは行動経済学の分野でメキメキと実績を積み上げており、注目の若手研究者として本書で一般の読者にも認知されるようになりました。

本書を読む前には、行動経済学という学問についての一定の知識が必要になります。
ここでざっくり説明してしまうと、行動経済学とは経済学の分野に心理学の知識を取り入れることで誕生した学問です。
経済学の前提には、人間は利益を最大限にするために合理的に行動するという考えがありました。ところが、現実の人間は必ずしも合理的に行動するわけではない。
人間の思考パターンには偏見や思い込みによって偏りが出ることが分かってきたのです。

 

そこで行動経済学は、心理学が明らかにした人間の思考パターンを経済学に組み入れることで、社会の経済事象を説明しようとすることを試みます。
この学問の進歩により、一見非合理に思える人間の経済活動を説明できるようになり、近年では経済学者だけでなく政治家や実業家にも注目を浴びている分野です。
前置きはこのくらいにして、いよいよ本書の内容に進みたいと思います。
本書のキーワードは「欠乏」です。
欠乏という状況が人間の思考にどのような影響を及ぼすかを明らかにします。
例えば、期限内に仕事が終わりそうになく時間が足りないと感じているビジネスマンのことを考えます。
時間の欠乏を意識することで、人間の認知能力は変化します。
具体的に言えば、目の前に迫った期限によって集中力が増し仕事の効率がアップしていきます。
脳が動員できる全てのリソースを目の前の課題に注ぎ込むことで起きる現象です。
その一方で、この状態がもたらすデメリットもあります。
目の前のことに集中するあまり、それ以外の事への注意力が落ちてしまいます。
著者たちはこのことを「トンネリング」と呼んでいます。
問題はここからで、人間にとって集中は長期間は続きません。
欠乏常態が慢性化すると、集中は切れてしまいトンネリングによる弊害ばかりが目立つようになってしまいます。
著者たちは様々な例を挙げ、欠乏状態に置かれている人が驚くほど能力が低下してしまうことを示します。
再びビジネスマンの例をあげると、仕事が忙しすぎて時間が足りない→トンネリングに陥りミスを連発→ミスを修正するための雑務に追われ益々時間が足りない、というような状況です。
このような負のサイクルを欠乏がもたらすことを、豊富なデータや実験監察結果によって証明していきます。

 ビジネスにおける欠乏のリスクを知ることができる

ビジネスの最前線は常に欠乏との戦いです。魅力的なプロジェクトを考案したが、実現するためにはお金が足りない。
厳しい納期に追われ、現場が疲弊してしまった結果、商品の品質チェックがおざなりになり不良品が増える。人手不足が慢性化し、穴を埋めるため残業がどんどん増えてしまっている。
このような身近な悩みは、すべて欠乏という一つの言葉に集約することができます。

そして、欠乏が慢性化することによってトンネリングが起こり、事務処理能力の低下からミスが引き起こされてしまうのです。
このような構図は、正に昨今の日本企業が起こす不祥事の根底にあるものではないでしょうか。

日産自動車、神戸製鋼、東芝などの不祥事は、いずれの企業も上層部が現場の状況を無視した目標を設定し、堪りかねた現場が不正に走ることに繋がりました。
それらの企業の不祥事にもこの本の分析は当てはまります。
上層部の無理な目標設定によって現場レベルで人員や時間の欠乏が常態化。
その結果、現場ではトンネリングに陥る作業員が続出、製品のクオリティが低下の一途をたどり、それを埋め合わせるために隠ぺいに走った。
また、隠ぺいという手を使ってしまうほど善悪の判断力が低下した裏側には、欠乏という原因があったとも考えられます。
このように、現実に起こっている諸問題を理解するにのに大きな手助けをしてくれます。
欠乏のもたらす集中とトンネリングという効果は、その人の頭の良しあしに関わらず、人間みな平等に陥る状態だそうです。
つまり、今は不祥事とは無縁の会社でも、状況が変わればいつ同じようなトラブルが起きてもおかしくないということ。職場のリスクを考えていく上では、注目に値する内容が詰まっています。

別の観点からもこの本は大いに役立ちます。
集中とトンネリングの仕組みを明らかにするだけでなく、応用編でトンネリングを防止する手段や、集中を仕事に活かしていく方法についても言及しています。
欠乏とは反対に心に余裕がある状態(著者たちは「スラック」と表現)の場合、著者たちによれば人間は資源の無駄遣いをやめられないそうです。
野放図な出費や、いつまでたっても終わらない会議はその最たるもの。
こうした事態を避けるために、この本の中では細かく期限や制限を設けることを提案しています。
ゴールを目の前に設定して見えるかすることで、仕事に対して集中して取り組める環境を整え、職場全体のパフォーマンスを向上させた事例が紹介されています。
そのかわり再三言及してきたように、集中にはトンネリングという代償がつきまといます。

心に余裕がある状態の時は、視野が広くなりプレッシャーなく判断力を行使することができるという長所があります。
欠乏と余裕は、お互いに全く正反対の特徴を持っています。
ビジネスの場では、状況に応じて二つの状態をうまく使い分けていくことが肝心だということが学べます。
この本からは、自分の働き方を見直すヒントも与えらてもらいました。


職場での働き方を変えたいと思っている人におすすめの一冊

どのような人でも欠乏状態に直面することは珍しくないので、誰でも読む価値のある本だと言えます。
その中でも、職場での働き方を変えていきたいと考えている人にとっては大いに参考になると思います。
業務量が多く、残業が常態化している職場では、まさにこの本で取り上げられたトンネリングにハマってしまっていると言えます。
目の前の仕事に集中するあまり過去に目をつぶってきた課題が噴出、その処理に追われるあまり改善策を立てる余裕がないという状況です。
そのような状況の解決策もこの本には書いてありますよ。
欠乏の罠から逃れ、余裕をもてる環境を作り出すことで、職場全体のパフォーマンスが向上させていけることが理論整然と語られます。
ひたすら努力や長時間労働を押し付けてくる旧来型の人間に対しては、最強のカウンターパンチとなります。
彼らの主張がいかに間違っているかが実例付きで解説されているのですから。
働き方改革の理論を後押しし、実践のヒントにもなる良書だと言えます。
勿論現場だけでなく、経営に携わっている方にも読んでいただきたいと思います。
そして、公務員の方にとっても興味深い記述があります。
一度貧困にハマると抜け出せないとよく言われますが、その原因も欠乏によるトンネリングにあることが暴かれます。
日々のギリギリの生活の中で、貧困層の判断力・事務処理能力は失われて行ってしまうのです。
実際にアフリカの貧困層支援にもこの本の考え方は取り入れられ、これまでにない成果を上げているそうです。
著者たちのいるアメリカでも、公的部門の貧困支援に関して欠乏についての本格的な議論が巻き起こり始めているとのこと。
日本でも貧困問題が大きくなりつつある中で、公務員の方にも是非知っておいてほしい知見が詰まっています。

teruyastar.hatenablog.com

いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

いつも「時間がない」あなたに: 欠乏の行動経済学 (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

  • 作者: センディルムッライナタン,エルダーシャフィール,Sendhil Mullainathan,Eldar Shafir,大田直子
  • 出版社/メーカー: 早川書房
  • 発売日: 2017/01/07
  • メディア: 単行本
  • この商品を含むブログ (6件) を見る